プロフィール
昭和35年 東京池袋生まれ。
いすみ鉄道社長の公募にブリティッシュ・エアウェイズ 日本支社(成田空港)運営部長の職をなげうって応募。
いすみ鉄道が存続できるかという検証期間をわずか1年半を残した時点での社長就任であった。
就任後、増便・駅の命名権(ネーミングライツ)売却・新駅開設(城見ヶ丘駅)・ムーミン列車・中古車両売却等々、
次々と収益改善策を打ち出し、2010年8月6日いすみ鉄道再生会議においてその存続が決定した。
これだけ困難な道のりが目に見えるようなローカル鉄道であるいすみ鉄道の社長になったのは、幼き日からの鉄道好きの夢を叶えるためであった。
小さな時から「テツ」だった。父方の実家がある房総興津の海まで揺られた蒸気機関車、子供のころ東京在住の彼にとって千葉に向かうのは薄暗いというイメージが染み付いている。学校に教科書代わりに持って行った時刻表を見ながらブルトレの運行を懐かしむ。
就職先は国鉄と思っていたが折しも再生中の採用停止で断念。しかし、航空会社に勤務後も鉄道への思いは断ちきれず全国のローカル線巡りを行う。それだけでは飽きたらず運転席からの線路眺望ビデオを制作する会社を興して、17年間で子供のころの思い出のブルトレやいすみ鉄道を含む500作品を発表。鉄道ビデオ業界の大手にのし上げた。
また、北海道 釧網本線 茅沼駅に国鉄生産事業団から買った土地を持ち、蒸気機関車C58の動輪を置いて丹頂鶴の訪れを待つというロマンチストの一面を持つ。それがいすみ鉄道の枕木オーナーのアイデアの原点となる。
ムーミン列車のアイデアも、いすみ鉄道の走るいすみ市付近の地形を見て思いついた。しかし、人気になったとはいえども、ローカル線のいすみ鉄道には観光客を載せるキャパシティはないと、買い物をしてくれるコアな客のみを対象として商売をすると割り切るなど、経営面ではリアリストの一面も持つ。
いすみ鉄道を残すために
ローカル線は赤字経営から路線の廃止の憂き目にあっている。たとえ第3セクターとしたところで経営状態がよくなるわけではない。
国鉄木原線を引き継ぐ形で第3セクターとして発足したいすみ鉄道も、万年赤字続きで存続が危ぶまれてきた。ついに、2007年10月29日に行われたいすみ鉄道再生会議で、2年間の収支検証期間を置き、その間に収支の改善が見込めない場合は廃止と決定された。
地元民も木原線の存続のときには住民運動として乗車していたが、いすみ鉄道になってからは利用することもない。人口減少にともない利用客数は右肩下がりである。
列車に乗らなくても良いから路線は残そう
いすみ地域の方たちの鉄道利用だけでは収入に限度がある。従って域外からの観光客を対象とするが、鉄道を使っていすみに来るには大変な時間がかかる。観光客には高速自動車道(アクアライン、館山道、京葉道路等)を使って車で来て、いすみ鉄道の駅前にある町営の駐車場を利用してもらえば良い。そして、いすみ地域の観光めぐり、お土産の購入など、鉄道の乗車賃だけでなく物販部門での収入を上げることができる。
今はそれぞれの点でしかない、いすみ地域の観光の名所をつなぐ手段としていすみ鉄道を考えて、いすみ地域の観光の広告塔としての役割を果たすことで、路線を残していきたい。
今年は定期客は減少したが、普通旅客は対前年比15%も向上した。これはローカル鉄道としては画期的なことです。
「鉄道に乗らないから要らない」で良いのか
鉄道は町と町を結んでおり、この鉄道が廃止になったらその地域は灯が消えたような状態となる。
既に路線廃止になった地域が、それを証明しています。
日本人の心の中には、”鉄道“という特別な思いがあります。里山の中を列車が走るのは「心のふるさと」であり、それは郷土愛、即ち、”心の原風景“を残していきたいという思いです。いすみ鉄道を残す意義を、このように考えています。
いすみ鉄道のブランド化
マスコミで取り扱ってもらうことで、大きな宣伝となっています。
女性誌OZ magazineの表紙に、久我原駅を取り上げてもらいました。久我原駅は日本の秘境100選の1つとなっている駅ですが、「1時間に1本なら、1時間、自由です」でのキャッチコピーのように、女性の感覚が変化していることで、ローカル線がブームになっています。
そのブームにのって、最近ではテレビでいすみ鉄道を取り上げてもらう機会が増えています。いすみ地域から出て都心に住んでいる子供さんたちが、番組を見て懐かしくなって親元に電話を入れてきます。電話を受けた親は、その話を聞いて自分の家の裏を走っている列車だと、改めていすみ鉄道を認識するのです。そして、そのおばあさんが、ふるさとに帰省した子供、孫たちと一緒に列車に乗りに来たという光景を見かけることもあります。
地元の人にとって、何ら変化の無いことが外から見て話題の1つになり、地元の人の心を揺り動かします。このように、いすみ鉄道のブランド化は、さまざまな波及効果を生んでいます。
なぜ、今、ムーミン列車なのか
いすみ地域をムーミン谷に見立てて、自然豊かな土地であることを訴えたい。ムーミンは争い事を起こしません。平和で自然豊ないすみに来て心を癒し、満喫して帰って頂きたいと思っています。
ムーミン列車のターゲットを30歳以上の女性としたが、子育ての時代にムーミンを見たことがあるはおばあちゃんがお孫さんを連れて国吉駅のムーミンショップに来られることが増えてきています。
その結果として正月2日、3日でムーミンショップのぬいぐるみが全部売れてしまうなどという嬉しい誤算もあった。
いすみ地域の掘り起こし
房総人の特徴は3つ挙げられます。①かつて統治されたことの無い土地(房総は大大名ではなく、小大名によっての統治が多かった)、②半島地形で交通が袋小路、③温暖で恵まれた土地ゆえ、取り敢えずは食っていけるという安心感。この3つの特性が、ややもすると保守的となり、革新の足枷となっているようです。
地元に長く住んでいる人には、変化させようとする意識が薄い傾向があり、大きな変革を起こすことには、あまり期待が持てない。“ヨソ者、若者、ばか者”が現状に満足することなく、現状を打ち破っていく原動力となって、地域の発展に踏み込んでいけると思われます。
今年、国鉄時代の木原線を走っていたキハ52型ディーゼル機関車を、金沢の大糸線から購入した。
いすみ鉄道を、木原線時代のカラーペイントしたキハ52型が走る。これによって昔ながらのファンを集めたい。実際に全国にサポーター組織ができてブログ等で宣伝をしてくれている。
次から次へとアイデアを産んで飽きさせない。本当に鉄道が好きで好きでしょうがないという少年のようであった。だからこそ思いつくことも多いのだろう。
講演日当日夜中に、キハ52型が搬入されると喜んでいた顔が印象的である。もちろん鳥塚社長は、講演が終わったあと喜び勇んで千葉から本社のある大多喜町へとんぼ返りをした。キハ52を迎えるために。
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